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  • » 2025.01
未熟なりに考えたことと、この夏だから思ったシンゴジラのはなし
タイトルがラノベばりに長くなりましたが、戦争について、思ったことと、『シン・ゴジラ』(少しネタばれ有)のおはなし。

  *****

noteでお知り合いになった方が原爆についての啓蒙活動をなされています。
詳細→「AS」(原爆に関するアニメーションや、路上に出て記録した原爆に関する”今”生きている人の声などが掲載されています)

わたしは所謂ゆとり世代で、正直近代の勉強は思い返すとほぼなかったなぁ、という世代です。
学校教育からは意識的に第二次世界大戦を省かれているのは、よく知られた話ですね……
政治的側面も多々あるのでしょうが、主観なしに教えるのが難しいことなのもあるのでしょう。

関東在住で西日本というのが遠い存在で、それに加えて育ちがそんな年代だったこともあって、戦争というものを教科書・受験のための通りには勉強をしたことがありますが、其処に生きた個人としての人の記録、というものにはほぼ触れずに成人しました。

そんなときに、咲さま、というかたにnoteで知り合いました。
最初は絵が怖いほど綺麗だったからフォローしただけで、基本はわたしが一方的にただ見ているだけの状態でした。

本当にコメントをするわけでもなくただ見ているだけでしたが、彼女が日々の更新の中で原爆についての言及やブログの更新、サイトの趣旨を見て「そういえば戦争ってちゃんと勉強したことが無い。科学的側面の原爆を知っていても、その被害がどう及んだのか知らない」ということに気付かされました。
「教科書に載ってたっけ?」と思って高校の教科書を引っ張り出しましたが、最後の方に押し込まれているような記載で実情はろくに載ってなくて、仕方ないから中学の教科書も段ボールから引っ張ってきたけどやっぱりなくて、仕方ないのでネットで色々調べはじめたのが勉強の始まりです。

少し目を向けてみれば(もう締まってしまいましたが)好きでよく行っていた銀座SONYビル、その6階にあったナディッフ デュ シャンの奥の本棚の一角は戦争に関する本が多くて、原爆に関しても、美術史と絡めたものや写真集など、いろいろあったんですよね。
恥ずかしながら、これまで全然目に留めてもいなかったのですけど……

それでもやっぱり、基本黙ったまま、見てるだけでした。
もしもスキしていることに気づかれていたのだとしたら、わたしは常にnoteに張り付いていて見える投稿全部にスキ付けてるだけの人だと思われていた可能性がありますねw

その状態を変えたのは、咲さまが方々へ呼びかけていた「原爆への声を集める」という企画で、さまざまなかたが参加の声を上げるところをただ見ながら「気になるけど、どうしようかな」というへっぴり腰の、「何も知らないけど、まだ勉強始めたばかりだけど、参加しても大丈夫ですか?」という問い合わせからスタートでした。
あまりにもしょうもないダメな人間からの問い合わせに答えてくれるか心底不安でしたが、最終的には了承をいただけて、わたしも参加の声をあげました。
企画は凍結となりましたが、いまだに自分の中で何を書くか答えが出ていないので不幸中の幸いなのかもしれない……

個人的に一番衝撃度が大きかったのがこの「路上の声」でして、これに自分も参加しようとしていたわけですが、まぁ、なんというか「素直な生の声なんだな」とこれを見ると思います。

戦争の時代から今生きている人、戦争を知らずに生まれたけれど広島・長崎にいることで複雑な思いを持つ人、長く被爆地にいても興味が無い人、違う話をし始める人、と様々で。
読んでいて苦い思いをする声もありました。

そして、生まれた場所は、今生きている場所は、関係ないのかな、とも思いました。

被爆地にいても、知らないこともある。
関心が無いことだってある。

これを現実として、場所が遠くても、実感は湧かなくても、情けなさはあっても、今私が動いてみることに意味があるのかなって。
そんなことを思って、まだ何を書くか決められないまま自分の声を探しています。

  *****

今日突然こんなことを書き始めたのには理由があって、今職場で倉庫担当で来ているおじいちゃんが沖縄出身で、海軍にいたときの話をしてくださって、そのときに「高校の修学旅行で沖縄に行って防空壕に行った」という話を少しした、というきっかけがあったからなのです。

ちょうど首里城が改修工事中の頃で、防空壕とひめゆりの塔、国際通りぐらいしか行った記憶が無いのですが、特にひめゆりの塔の記憶は鮮烈です。
「ひめゆり平和祈念資料館」をじっくり見て回る時間が与えられたことは、本当によい経験だったと思っています。

とくに、学徒かたがたの所持品だとか校友誌だとか、手記、顔写真がずらっと並んでいるのは圧巻で、本当に何気ない日常を感じる品々に混じる、非日常の戦の気配が怖くて、友人と言葉少なに見ていったことを覚えています。
とくに顔写真が並んでいる様はすごかったです。今まで文字の、知識としての記録でしか見たことが無かった方々が、顔を見て初めて実体を持つ感覚がしました。当たり前のことなのですが、どうしても感覚として遠くて。

ひめゆりではもうひとつ印象的なことがあって、ひめゆりの塔の前で高校のクラス全員で記念写真を撮ったのですが、その集合の際に……まぁ、うちの高校はいわゆるバカ高だったのですけど、あんな厳かな場所で皆きゃーきゃー楽しそうに写真撮っては笑っていて。
あの内容を見てきたばかりでこっちはそんな気にはなれないというのに、すごくはしゃいでいて。
すごく温度差を感じたんですね。

修学旅行だから、はしゃぐ気持ちも全く分からないではないですが、あの場所であれは……

そんなこともあって、私の中で「原爆=戦争→あの温度差」をどうしても思い出します。
「最近の若い世代は……」と言われてしまう意味も、身に沁みて知っています。

でも、そのなかでもほんの少しは救いがあると思っていて。
私と友人がクラスメイトに引いていたとき、いつもならクラスの中心にいるムードメーカーの男子生徒が珍しくぽつんとひとりで離れた場所にしゃがみ込んでいて、どうしたのだろうと近づいた時に、

「なんであいつら、こんな場所で騒げるんだろう……」

と、呟いて呆れた顔をしていたことも思い出します。

いつもはまぁ、明るい人で、少し派手な印象もある、言い方は悪いですが、そこらへんに掃いて捨てるほどいる普通の男子高校生だったんですよね。
サッカー部で、成績も上の下、クラス委員長をやってて、明るくて運動神経抜群の彼女もいる、そういう、わたしはあまり関わるようなこともないひとで。

そんなクラスの真ん中にいるような普段は明るい普通の子でも、クラスの大多数から外れて、自分の見たものに感じ入ることがある。

正直、意外でした(非常に失礼)。

それからはしゃぐクラスメイトを横目に彼と少しだけ資料館の内容に関する話をして、それ以降学校でも彼と話をした記憶はないんですが(たぶん本当に話をしていない)、あのとき感じた虚無感だとか、失望だとか、そういうものをあの時あの場で3人だけが感じていたのだろう、と今でも思います。

彼はその日一日元気が無くて、少し心配もしました。
それから修学旅行最終日まで班行動だったためクラスメイトとは合流しなかったので、翌日のことはわからないし。
尾を引く経験だったなぁ、と。

ゆとり世代も、何も考えていないようで、何も知らないようでいて、それでも何かはきちんと感じているのですよね。

十把一絡げにされがちな世代ではあります。
学が無いことは百も承知です。
でも、知らなくても感じ取ることはできて、感じたからにはそれを無視しないで往くひともいるのだと、あの経験から感じております。

  *****

続いて現在上映中の「シン・ゴジラ」のお話。

わたしのゴジラとの出会いと言えば、全国の女子小学生を恐怖に陥れた「とっとこハム太郎」と同時上映の「ゴジラ モスラ キングギド ラ大怪獣総攻撃」という、どう考えても女児向けハム太郎と抱き合せちゃいけない映画がきっかけでした。
あれマジでダメだったやつ。本当に周り泣いてたから……ゴジラ好きなひとからみても、なんか平成ゴジラで一番怖いやつだったらしいです。本当にダメなやつじゃん。

登場した怪獣全部爆死するという、明らかに子供向けじゃなかったゴジラ。
かわいいバラゴンも美しいモスラも爆死したので今でもトラウマ。

そんなゴジラを好きな男の子がクラスメイトにいて、当時小学校3年生ぐらいだったんですが、総合学習の時間、班ごとに気になることを調べてパワーポイントで発表する、という授業を、んゴジラきっかけに「放射能について」でやったんです。
100%ゴジラのせいです。

そもそもゴジラというのは、人類が行った核実験の放射能によって変異した生物、という設定を持った怪獣ですので(裏設定に、旧日本軍の英霊が集まったもの、というはなしもある)これを小3が調べるのが普通かはともかくとして、放射能については色々と調べ物をしたことがあります。
そのタイミングで、まだ社会科の授業で戦争に触れたことはない年頃でしたが、原爆についても記述を見ています。どんなものだったのか、どんな被害を生んだのか、当時は全然分からなかったですけれど……

シンゴジでも放射能設定は健在で、ゴジラが歩いた後は放射能の濃度が高まり、体の中では核分裂を繰り返してエネルギーとしている、まさに核の申し子でした。
そのうえ、そのゴジラを倒すために、あの国が東京へ向けて、またしても核攻撃を仕掛けようとする話の展開……また、原爆を落とそうとする展開、日本人が見るからこそ恐ろしさがわかる映画になっておりました。

街中の放射濃度が上がる様子は否応なしに東日本大震災のときの福島原発を思い出すし、核攻撃にあの国が動き出す様はどうしても広島・長崎を彷彿とさせます。
この映画を、夏に、7月末に公開する、っていうのは、なんだか象徴的だな、と思わされました。

怪獣映画として、娯楽映画として、すごく面白い作品でしたが、同時に風刺映画としても最高の皮肉をぶつけてくれる映画だと思いました。

原爆に関して調べ始めるきっかけを得たタイミングにこれを見たせいか、あの展開の恐ろしさが半端ではなかったので、見る人が見たら怒りがすごいのだろうな、と思います。

でも、面白かった。複雑な映画です。

  *****

このままいくと、とりとめもなく益体のない話になりそうなので割愛。

考えるきっかけがあったことにかこつけて、今の想いを記録しておくこととします。

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【2016/09/02 16:46 】 | 雑記
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