花、が咲いた。
どこに、と言えばわたしの頭に。 まるで、髪飾りを付けているかのように、ぽつり、とこめかみのところに。 冴えないわたしには似合わない、美しい花。 ふわり、と花開いて、宵色の肢体を存分に広げている。 恐ろしいほど美しく、そして同じぐらい薄気味の悪いその花は、どうにもわたしの頭に根を張っているのかどうしても取れない。 髪を梳いても、シャワーを浴びても、凛、とその姿を輝かすばかりでどうにもならなかった。 目立って仕方ないけれど、髪飾りと言い張ってしまえばそれで通りそうなものだったし、わたしはあきらめてこのまま日常生活を送ることにした。 この艶やかな紫の花は他人の視線を誘惑して、普段なら話題にも上らないこんなわたしのことさえ注目の的にした。 「へぇ、それかわいいね」 「イメチェン? すごくいいんじゃない」 「そういうの似合うね。綺麗だよ」 ほんの少し気恥ずかしかったけれど、みんなが褒めてくれて、そして、笑ってくれるのが嬉しかった。 うれしくて、うれしくて、笑うことが多くなった。 みんなが「雰囲気変わったね」と笑ってくれる。うれしかった。 そして、わたしはまたわらう。 ほんの少しずつ、花は増えていく。 紫、青、薄紅に薄氷。艶やかに、ささやかに、わたしを彩っていく。 そうしたさなか、男のひとから初めて「君のわらった顔が、綺麗で好きだ」と照れたように告白された。 うれしくて、うれしくて、わらった。 わらって、頷いた。 ――また、花が咲く。 誰もおかしいとは思わないのか、わたしの頭が花に覆い尽くされても「綺麗だね」と笑うばかりだった。 彼もわたしの花を見ては微笑んでくれた。わたしの好きな笑い顔。 でも、決して「綺麗」だとは言ってくれない。 他の人はすれ違いざまに「綺麗」と言ってくれるのに、一番言ってほしいひとは何も言ってくれなかった。 ただ「わらってよ」と私の顔に触れるだけ。 でも、うまくわらえなかった。ただ一言がほしくて、笑顔を作ろうとも歪むばかり。 ただひとこと「綺麗」と言ってもらえたら、それだけでわらえたのに。 それでも彼は「おれが好きなのは花じゃないよ」と困ったように笑って、かたくなにその一言を口にしなかった。 わたしは息をするだけの花に成り果てていく。 彼のひとことを求めてわらうこともできず、自分の中からなにか大切なものが抜け落ちていくのを感じるだけ。 息をする。 花が呼吸に合わせて花開く。 食事をする。 花が色濃く滲んでいく。 ただ、生きている。 花がわたしの命を吸って、わらう。 ことり、と何かが落ちた音がした。 ふと気づけば私は床に膝をついている。 何故だろう、と首をひねった時には、頬の下に冷たい床の感触があった。 からだがうごかない。 視線の先には扉。 今日は彼が来てくれる日だったっけ。 あともう少ししたら、彼はいつもの儚い微笑みを――決して「綺麗」とは嘯かない唇に――浮かべてやってくる。 起き上がらないと。 起き上がって、彼が来るまでにきちんとお洒落しなくちゃ。 そうしたら、うっかり「綺麗」って口走ってくれるかもしれないし。 でも、やっぱり体が動かなかった。 がちゃり、と視線の先でドアノブがまわる。 彼がどこか驚いた顔でわたしを見ている。 その顔がかわいくて、ほんのすこし、久しぶりに笑ってしまった。 ひさしぶりに彼の前でわらえたことが嬉しくて、目の前が涙で滲んだ。 目が熱くて、開けていられない。 わたしの名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたけど、もう、なにもわからない。 ――最期のとき、貴方がわたしを見て「綺麗」だと笑ってくれたらうれしいな。 ただ、霞む意識のなかで、思ったのはそんな些細なはじまりのことだった。 了 PR |
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