ついに友人から「お前の好きなゲームの大半は『滅びゆく世界』ではなく『滅んだ世界』から始まるから、やっぱり性癖がヤバいのでは」と言われてしまった有里です。
たしかに一番好きなゲームのシリーズはまず東京が滅ぶし、○ーアシリーズはもちろん既に滅んでるし、神喰も世界中が滅んでいる…… 方向性が偏っているせいか王道ストーリーのゲームを遊んでいると「世界が滅びそう……? ふーん、まだ滅んでないからいいじゃん」みたいな気持ちになります。確実に勇者向きじゃない。 とはいえ、ここしばらくはPS4でニーアオートマタをがっつり遊んで、FF15も放置気味、ペルソナ5に至っては最終ダンジョンを目の前にして完全放置の有様です。 いい加減ストーリー性のあるゲームは疲れてきたのか、ここ数日は音ゲーが楽しい。 スマホゲーでも音ゲーはいろいろ出てるので、外でもちょこっとした空き時間で遊べるのがいいですね。 いやぁ、しかしこういうプレイ履歴から歪んだ好みが形成され、今の執筆スタイルになにがしか影響があるのかもしれないと思うとワクワクします。 小説はわりと王道ものもきっちり通ってきているんですが、あまりゲームは王道なものって遊んでなくて、FFシリーズも7,8だけ、ドラクエは遊んだことが無い、FEもほぼ触ったことが無い、みたいな。 マリオ系もあんまり遊んでないしなぁ…… 幻想水滸伝も王道かな。遊んだことが無い。 ゼルダの伝説もがっつり遊んだことないんだよね。友達のプレイを見てただけで。 テイルズシリーズもだなぁ……ヴェスぺリアだけ。 あまり王道なファンタジーを書けないのはここらへんに理由がありそうな気がして。 小説なら読んでるんですけどね。 話運びとか言葉回しはわりと読んできた小説の影響受けてるな、という自覚はあるのですが。 話の方向性やジャンルはゲームの方が近い気がして。 王道なゲームはあまり遊んでいなくて、世界観とか自分でなかで描くビジュアル面はゲームと漫画、アニメの要素が大きくて。 小説は俯瞰の視点で読むことが多いし、何度繰り返し読んでも箱庭を眺めていることが多くて、没入感がないわけではないけど他人事なかんじがする。 いや、事実他人事なんだけど。 ただ、ゲームはほぼ必ず主人公がいて、その主人公を操作して進んでいく。 だからこそ主人公の思考をなぞりやすいし、その人から見た世界で物語が進行していくから「自分」と「ゲーム世界」が近い。 同じ視点で同じ出会いをして、同じ別れを経験して、それを眺めていくだけなのは小説と変わらなくとも、視点が世界の上じゃなくて、その世界の土地の上に立って眺めている感じがあるんだよね。 パーティの最後尾をのこのこついていくだけだけど、そこの一員、みたいな。 その分、思考の偏りとか、世界の視方とか、自分は自分だから「主人公」とは違うことを思ってるんだけど、その世界により近いところから何かを感じる、っていうのはゲームのほうが影響が大きくて。 そういう風に形づくった「それを美しいと思う」という好みが、書いてるものに出てしまうなぁ、とそんなことを思ったのでした。 比較的「(メリー)バッドエンド」が好きなのは確実にメガ○ンあたりの影響を受けているし、「人間×人外」はしら○ゆの怪が沼だったかな。 「学生の大人と子供の間ゆえの未熟さ」はペ○ソナだろうなぁ。 「1対1の関係性」はF○teシリーズ。マスターとサーヴァントの関係性。 こうやって考えてみると面白いなぁ。 それを踏まえて、引き摺られすぎないように気をつけないとな、という自戒も込めて。 PR |
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