きみと肩を並べて歩く。
ひとりきりの帰り道。 いつだったか、いつから、ひとりではなくなったのだろうか。 それは、もう、思い出せないほど昔のはなし。 今日も重たい鞄を抱え、あまつさえ疲れに沈む体に傘を携えて歩く。 今日の話題は、昨日から始まった鏡の展覧会のこと。 「昨日から始まった展覧会のことだけど」 「ああ、あれね。鏡の展覧会」 「そう、面白そうだよね」 「そうだね」 「なにが映るんだろう」 「それはなんでもだよ」 「きみも映るかな」 「僕は行かないから映らないさ」 はた、と立ち止まる。 空気がしん、と静まり返る。 道往く人が立ち止った僕を怪訝そうに見ては過ぎていく。 時は流れていく。 「……一緒に来てくれないの?」 「僕とじゃあ、つまらないよ」 「つまらなくなんかないさ」 「つまらないよ。絶対に」 「それでもいいんだよ」 「それじゃ駄目だよ」 「……どうして?」 きみは言い淀む。 その逡巡を僕は知っている。 彼が何と答えるか僕は知っている。 知っているけど聞きたくなくて、でも、聞く。 「全部なかったことにしてさ、ひとりでいきなよ」 ――それは多分、別れの言葉だったんだろう。 その言葉を問いただす時間はなく、僕は後ろから知らない呼び声に呼ばれた。 おおきな、おおきな、悲鳴のような声。 車のタイヤがあげる、断絶の金切り声。 とっさに鞄で頭をかばう。 強い衝撃が僕を襲う。 なんとなく、僕はひとりでよかったのだと思った。 こうして事故に遭っても誰も巻き込まない。 道路に投げ出された傘がぽつん、と悲しげにしているけれど、ただそれだけだ。 ただ、それだけで、誰も何も喪っていない。 強い衝撃があったけれど、ただそれだけで、幸いにして車は止まったらしい。 事故は大ごとにならず、僕も、たいして怪我もしていない。 周りの人がばっとかけよってくる。 そのなかにはクラスメイトや委員会の人など見知った顔もいた。 皆一様にほっとした顔でこちらへ話しかけてくる。 そのなかにひとり、そっと僕の鞄を差し出してくるひと。 有りがたく受け取って中身を確認する。 携帯も、電子辞書も、体操服のおかげなのか無事だ。 ほっとひといき吐く。 あとは下に沈んだ教科書類だけだけど…… 「あ」 あと、もうひとつ。 僕にとって一番大切なものが入っている。 それは、絵本だ。 僕がずっとむかし、記憶にないほど昔、両親が僕に作ってくれた“僕”の物語。 その当時、生まれた子どもの名前を入れる絵本をつくることが流行だった。 渡されてからずっと、大切にしていた。 探す。 大切な“僕”の姿を。 そして、とっさに頭をかばった鞄のなか。 僕が子供のころからずっと大事にしていた“僕の本”が、奥の方でぐちゃぐちゃになってその姿を晒していた。 「……“僕”?」 問うても、いつもの声は聞こえない。 いつも当たり前にいた、友達の声が聞こえない。 『全部なかったことにしてさ、ひとりでいきなよ』 あれはきっと、「全部なかったことにしてさ、ひとりで“生”きなよ」と、言っていたのだと、ふと気づく。 それはきっと。 たったひとりの友人だった彼を殺してしまうこと。 それが彼の望みだったこと。 僕はそれを望まなかったこと。 その後悔に、頁を綻ばせた本を抱いて、雨の中、僕は泣いた。 ――了 お題:イマジナリーフレンド PR |
花、が咲いた。
どこに、と言えばわたしの頭に。 まるで、髪飾りを付けているかのように、ぽつり、とこめかみのところに。 冴えないわたしには似合わない、美しい花。 ふわり、と花開いて、宵色の肢体を存分に広げている。 恐ろしいほど美しく、そして同じぐらい薄気味の悪いその花は、どうにもわたしの頭に根を張っているのかどうしても取れない。 髪を梳いても、シャワーを浴びても、凛、とその姿を輝かすばかりでどうにもならなかった。 目立って仕方ないけれど、髪飾りと言い張ってしまえばそれで通りそうなものだったし、わたしはあきらめてこのまま日常生活を送ることにした。 この艶やかな紫の花は他人の視線を誘惑して、普段なら話題にも上らないこんなわたしのことさえ注目の的にした。 「へぇ、それかわいいね」 「イメチェン? すごくいいんじゃない」 「そういうの似合うね。綺麗だよ」 ほんの少し気恥ずかしかったけれど、みんなが褒めてくれて、そして、笑ってくれるのが嬉しかった。 うれしくて、うれしくて、笑うことが多くなった。 みんなが「雰囲気変わったね」と笑ってくれる。うれしかった。 そして、わたしはまたわらう。 ほんの少しずつ、花は増えていく。 紫、青、薄紅に薄氷。艶やかに、ささやかに、わたしを彩っていく。 そうしたさなか、男のひとから初めて「君のわらった顔が、綺麗で好きだ」と照れたように告白された。 うれしくて、うれしくて、わらった。 わらって、頷いた。 ――また、花が咲く。 誰もおかしいとは思わないのか、わたしの頭が花に覆い尽くされても「綺麗だね」と笑うばかりだった。 彼もわたしの花を見ては微笑んでくれた。わたしの好きな笑い顔。 でも、決して「綺麗」だとは言ってくれない。 他の人はすれ違いざまに「綺麗」と言ってくれるのに、一番言ってほしいひとは何も言ってくれなかった。 ただ「わらってよ」と私の顔に触れるだけ。 でも、うまくわらえなかった。ただ一言がほしくて、笑顔を作ろうとも歪むばかり。 ただひとこと「綺麗」と言ってもらえたら、それだけでわらえたのに。 それでも彼は「おれが好きなのは花じゃないよ」と困ったように笑って、かたくなにその一言を口にしなかった。 わたしは息をするだけの花に成り果てていく。 彼のひとことを求めてわらうこともできず、自分の中からなにか大切なものが抜け落ちていくのを感じるだけ。 息をする。 花が呼吸に合わせて花開く。 食事をする。 花が色濃く滲んでいく。 ただ、生きている。 花がわたしの命を吸って、わらう。 ことり、と何かが落ちた音がした。 ふと気づけば私は床に膝をついている。 何故だろう、と首をひねった時には、頬の下に冷たい床の感触があった。 からだがうごかない。 視線の先には扉。 今日は彼が来てくれる日だったっけ。 あともう少ししたら、彼はいつもの儚い微笑みを――決して「綺麗」とは嘯かない唇に――浮かべてやってくる。 起き上がらないと。 起き上がって、彼が来るまでにきちんとお洒落しなくちゃ。 そうしたら、うっかり「綺麗」って口走ってくれるかもしれないし。 でも、やっぱり体が動かなかった。 がちゃり、と視線の先でドアノブがまわる。 彼がどこか驚いた顔でわたしを見ている。 その顔がかわいくて、ほんのすこし、久しぶりに笑ってしまった。 ひさしぶりに彼の前でわらえたことが嬉しくて、目の前が涙で滲んだ。 目が熱くて、開けていられない。 わたしの名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたけど、もう、なにもわからない。 ――最期のとき、貴方がわたしを見て「綺麗」だと笑ってくれたらうれしいな。 ただ、霞む意識のなかで、思ったのはそんな些細なはじまりのことだった。 了 |
下駄箱に手紙。
いまどきそんな古典的な手を使うものがいるのか、と思っていたが、どうやら本当にいたらしい。 少年は名前のない可愛らしい手紙を眺めながら体育館裏へと足を運んでいた。 なるほど、古典的な呼び出し場所ではあるが人気はなく、そういうことをするには最適に思えた。 用件が少年の思い違いでなければ、だが。 そこによく見知った少女が緊張した面持ちで現れた。 思わず笑みがこぼれる。 こちらに気づかぬ彼女に、よう、と声をかけようとして、はた、と気づいた。 彼女の前にやってきたのは、またも少年のよく知る者。 真っ赤な顔をした彼女が何を言っているのかも、いつのまにか目の前にやってきた少女が何を言っているのかも、今の彼には何一つ聞こえていなかった。 (313文字) |
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