湖の向こうには妖の町がある。
そんな言い伝えが村にはあった。 赤い金魚しかいない湖。河童も川姫もいない、ただの湖。 水面を覗いても決して見られない世界。 幻想はただひっそりと其処に在り続けていた。 ある日、湖を埋め立てる話が持ち上がる。 「赤き神に祟られるぞ」 村の老人たちは言った。しかし、誰もが老人の戯言と笑う。 そして湖は容赦なく埋められた。 上には建物が建ち、人が住んだ。祟りなど起こらない。 ただ穏やかに時は過ぎた。 しかし。子供だけにしか広まらない噂があった。 「あそこの水溜まり、赤い金魚がいるよ」 大人たちに水溜まりは見えていない。そもそも水溜まりに金魚はいない。 けれど確かに広がるその噂。幻世の世界。 今も何処かで彼らの水音。 PR |
「が」
岸壁の向こう。海を挟んで向こう側。少女が立ちすくんでいる。手を伸ばす。届かないと識りながら。いつも同じ時間に同じ場所へ立つ、名前も知らない少女へと。 視線が合ったのは刹那。口の動きは見知らぬもの。それでも伸ばされた片腕。 言葉は分からない。けれど、指先は触れ合ったような、そんな気がした。 「ぎ」 銀行窓口に誰かが勢いよく突っ込んだ。その服装は黒ずくめ。サングラス。客も騒然、僕も動転。窓口にいるのは年配の女性。窓口でぽかんと闖入者の顔を眺めている。誰もが銀行強盗を想像したその時。 「母さん、子供生まれたよ!」 喜びの声とともに、声で彼が人気俳優Gということが明らかになった瞬間だった。 「ぐ」 具の無い味噌汁を眺める。この定食屋はおばちゃんの美味しい手作りお味噌汁が飲めるので重宝しているのだが、今日は一体どうしたのか。周りを見回せば特にいつもと変わった様子もなく味噌汁を啜っている。首をひねりつつ箸を入れる。持ち上げたそこには、群体となり沈んだワカメがまとわりついていた。 「げ」 げんこつが降ってくる。ぎゅっと目をつぶってそれを待つ。ぽかぽか、と微弱な痛み。煎餅、おかきに飴あられ。げんこつ焼き、と言われるお菓子を主に、こちらへと投げ込まれる菓子累々。 「ほら、行ってきなさい」 押される背中。少年は自らの手でおやつを手に入れるべく、げんこつに向かって走り出した。 「ご」 ご飯が好きだ。お魚にもお肉にも合うし、お野菜も良い。汁物と並べても丼にしても良い。とにかく米が好きだ。今日の夜ご飯は何を食べようか。しばらくずっと米続きだったし、たまには麺も……でもやっぱり米を……最終的に食卓には、ラーメンにチャーハン、何故かおにぎりと炭水化物が並んだのであった。 |
僕は街を往く。
見慣れた景色を見ながら。 お気に入りのヘッドホンで音楽を聴きながら。 大好きな彼女を想いながら。 街を往く。 走り慣れた景色を見ながら。 お気に入りの音楽を掛けながら。 大切な家族のことを想いながら。 ふと、大切なあの人を見かけた。 「「おーい」」 ひとつの声は街角から少女へ。 そして、もうひとつの声はトラックから子供を抱いた女性へ。 「あ」 そう、零したのはどちらだったのだろうか。 街を響く悲鳴とブレーキ音。 流れ出す赤。 子供の泣き声。 ****** お気に入りのヘッドホンをして、彼女は往く。 この街を。僕のいない、街を。 街角、ひっそりと置かれたのは菊の花。 彼女だけが気付く、あの日の僕に手向けられた花束。 「おーい」 何度呼びかけても、彼女はこちらを振り向かない。 街角にいる僕には気づかない。 もう二度と、僕の声は届かない。 ――了 |
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